【想いごと】アウティング問題について
こんばんは、tantanです。
この不幸な事件には、私も思う事がありました。
*1 アウティング (英語: Outing、発音: [a'utiŋ]))はゲイやレズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダー(LGBT)などに対して、本人の了解を得ずに、公にしていない性的指向や性同一性等の秘密を暴露する行動のこと。アウティングはプライバシー問題、選択の自由の侵害問題などを引き起こし、さらにホモフォビアや異性愛中心主義(ヘテロセクシズム、en)解消の取組みにまつわる共通善(en)議論の火付け役ともなる。
と言いますのも、
私が軽度の発達障害を抱えており、クローズドで就労している人間だからです。
セクシャリティと発達障害は抱えてる悩みの内容は違っても、"見た目で分からない問題"を抱えているという意味で一致していると考えています。
そうした事情もあり、私自身もアウティング問題にはどうも敏感です。
しかし会社側は、ことある事に周囲にオープンにするよう勧めてきます。
その度に私は、何故オープンに出来ないのかといった話をさせて頂き、クローズドにして頂くようお願いし続けています。
最後は本人の気持ちを汲み取る姿勢の会社のお陰で、何とかクローズドで働けていますが、部署異動があった時などは当事者には"無断"で次の上司に伝えられていきます。
会社としては、"適切な配慮をする為には必要なこと"という考えの元で実行されています。
会社側の考えも分かりますし、私自身も働きたい意欲が強いのであまり強くは言えませんが、当事者の気持ちだけで話すと、もう少し"事前確認"を入れて頂けたら嬉しいな…と感じる場面も多々ありました。
何故私がクローズドで就労し続けているのか…と問われれば、
それは"オープンにする土壌が無いから"だと答えます。
会社側は、"うちの社員にはそれを知ったからと差別するような人はいない"と自信を持って伝えて下さるのですが、
それは(立場上)見ている所が違うからそう言い切れるのだと思います。
そこについて、もう少し掘り下げて書いてみます。
確かに私が働く会社の方々は、育ちが良く、人として整った方が集まっています。気質も穏やかで協調性が高いこともあり、中々大きな問題は起こりにくいのかもしれません。
ですが、私がオープンにする土壌が無いと感じたのはどういった所かというと、普段の同僚達との会話や見聞きしてきた事にありました。
例えば、
・耳が不自由な方について
→会社の発表など大きな場ではプロのサポートが入るけれど、普段の会議ではそうしたサポートは入らない。その為、チームメンバーでタイピングや文字を書いて伝える担当者を順繰り回して、当事者に会議の内容を伝える必要がある。会議中は会議に参加する必要もあり普段の仕事も忙しいにも関わらず、同時にタイピングなどをしながら進めるのは面倒臭いし、大変である。(当事者が悪い訳ではないと分かっているけれど、自然と面倒臭いという気持ちが当事者に向いてしまう。)
・車椅子の方について
→バリアフリー対応がなされていない会社なので、エレベーターやお手洗い問題が発生。それぞれの扉が車椅子には狭く、部署やお手洗いに向かうだけで一苦労。最終的には、会社に居づらくなって退社となる。
・トランスジェンダーについて
→(物理的な配慮が必要な障害については伝えていたが)性同一性障害については、会社に伏せて入社。しかし当事者のキャラクターから周りが性同一性障害の疑いを抱き、隠しきれなくなったからか、後に当事者よりカミングアウト。どちらのお手洗いを使用するかなどの問題が発生していく。最終的には、会社に居づらくなって退社となる。
・コミュニケーション下手な上司に対して
→「あいつはアスペだ」「アスペだから、人の気持ちが分からない」とアスペ(アスペルガー)を用いた悪口
などを、見聞きしてきました。
相手自身の純パーソナルな部分もあれば、会社側の配慮不足の結果がパーソナルに繋がっている部分もある事が浮かび上がってきます。
クローズドの発達障害当事者の立場としては、悪口として発達障害名を用いられている場面を間近で見れば、この人にはオープンにはできないし、オープンにしない方が双方の為だと判断できます。
会社の配慮不足に関しては環境整備だけでなく社内教育にも関係すると思うのですが、
環境問題に関する社内教育は熱心でも、マイノリティに関する社内教育は、過去に薄いパンフレットが1枚配られて以降は何も無く、個人が持つ元々のパーソナルな部分に任されているのが現状です。
会社は、全体を見て、
当事者は、周囲を見ている。
当事者が不安だと考える問題を個人のパーソナルな問題として干渉しない会社の姿勢がある内は、会社が望む周囲にオープンにするまでのハードルとしても立ち塞がっていきそうです。
そうして、私が周囲にオープンにするという選択肢は消えていきました。
障害者としてオープンにするには、先ず周囲の理解がある職場(集団)だなと感じられると嬉しいです。
もしかすると周囲の理解がある職場を得る為には、会社全体の理解へと繋がり、会社の理解を得る為には、社会全体の理解が必要となっていくのかしれません。
だから今、当事者の方達が色んな場所で勇気を持って発信して下さっていることは、勇気のない私にとっては有り難く、感謝の念を感じます。
こんな風に、
自分からオープンにしようと思っても、上記のようなことを考えたり悩んだりしながら、結局は出来なかったり、大変勇気が必要なことではあるので、
もし他人からアウティングされてしまった日には、様々な事を考えてしまうでしょうし、最後は絶望感に身体が呑み込まれてしまってもおかしくはないなと思います。
在り方としては、"This is Me"と言いたい。
本当はそう生まれた事に関してオープンでいることに、気兼ねはしたくはない。
だけど、言えない。
…クローズドにしている方は、そんな葛藤を抱えていることもあります。
アウティングを本人の意志とは無関係に行うことは、当事者の抱える悩みや問題を無視する行動であり、殴る暴力と同じなのではないでしょうか。
もし当事者との間で何か問題が発生したときは、先ずは問題点について話し合い、コミュニケーションを重ねてみてほしいと願います。
ただ本当は、
"This is Me"と言える世の中になり、アウティングする必要が無くなること。
それが一番ではありますね。
ご冥福をお祈りいたします。